今話題沸騰中の五代様ことディーンフジオカは、
日本でブレイクする前は海外で活動をしていた人気俳優です。
主に台湾など中華圏で芸能活動をしており、
台湾での出演作品や、来日するまでの経歴について
調査してみようと思います。
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ディーンフジオカは台湾のドラマで人気爆発?
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NHK朝ドラの「あさが来た」で五代友厚役で
一躍注目されたディーンフジオカですが、
今や大変注目されている俳優ですね。
芸名からして日本人かハーフか
わからないですよね?
詳しいプロフィールや家族については
こちらで確認することができますよ↓
ディーンフジオカの父親は日本人・中国人どっち?母親や仕事を調査!
高校を卒業するまでは千葉県に
住んでおり、芸能界に関心がなかったようですね。
17歳の高校生のときに妹が勝手に応募した
モデルオーディション(ジュノンボーイコンテスト)で
最終選考まで残ってしまったというからすごいですね!
10代のころからイケメンだったのでしょう、
妹が推薦するくらいだから相当なのでしょうね。
オーディションに応募した時の写真が
髪が長くまゆが細いんですね。
バンドをしていたのでギターを弾いており、
これがモテないはずないですよ(^^ゞ
オーディションでは、
応募者10563人のなかで最終選考6人に
選ばれたのですね。
しかしなんと!芸能界のお誘いを断ったそうです。
実は芸能界ではなく起業家をめざしており、
スティーブジョブズやビル・ゲイツのように
アメリカで成功させたいという大きな野望を持っていたのですね。
アメリカでITを学んで起業しようと考えていたのです。
両親を説得して高校卒業後に渡米して、
アメリカの大学(シアトル)でITを学ぶことになったのですね。
バンドにも入って夜は練習に明け暮れていたといいます。
しかし大学卒業2年前に
当時2001年に911事件が起きてから、
事態が変わってしまいましたのです。
事件の影響により外国人のビザ取得が
難しくなりアメリカで永住することをあきらめてしまうのですね。
そこですごすご日本に戻らないところが
考え方が違うのですね。
大学時代にバイトで稼いだお金や
身の回りのものを売って、
バックパッカーとしてアジア放浪の旅へと経つことになるのです。
2003年23歳に、あてもなくアジアに
旅立決心自体すごいことですよね!
なんと北京から陸路で香港、ベトナム、カンボジア、タイまで
およそ3ヶ月かけて旅を続けたといいます。
アメリカの大学を卒業後に香港に行くと決めてから、
わずか1ヵ月半で16kgのダイエットをしたということを
妹の藤岡麻美が話していました。
それから2004年に香港に立ち寄るのですが、
ここから驚愕のシンデレラ・ストーリーが始まるのですね!
香港に来て2,3週間後に
中心街にあるワンチャイで夜のナイトクラブに
参加した時のことです。
DJ大会が開かれたており、
アメリカ時代に鍛錬したラップを披露しました。
それを見た雑誌編集者が
モデルにスカウトしたのですね。
日本では芸能界にスカウトされても
断ったけれど、香港では生活のために
モデルになることを受け入れたようですね。
ここで芸名として「DEEN FUJIOKA」として
名乗ることになったのですね。
これはアメリカ留学時代にホストファミリーに
呼ばれていたイングリッシュネームを使ったのです。
香港ではDEENの意味がクレイジーというので、
愛称として皆から呼ばれていたことから、
芸名になったといいます。
こうしてモデルとしてファッションショーや
ビデオ、CMまで仕事を広めていったのです。
「tfjok」と言う名前でラップを取り入れて活動していました。
CMはソニーに抜擢されて採用されたそうです。
ワンチャイにあるタイムズスクエアの
大きなモニターに映されたといいます。
これは日本なら新宿東口にあるスタジオアルタや、
渋谷のスクランブル交差点から見えるビルの
大きなモニターに映されたというのと同じですね。
タイムズスクエアに取り上げられるだけでも
ステイタスが上がるというわけなんですね。
ここまでで香港に来てクラブでスカウトされてから
モニターに映るところまでわずか4ヶ月と
スピード出世を成し遂げるわけです。
やはりなにか人を引き付けるものを
持っているのだと思います。
ものすごい原石だったのでしょうか。
当時のことをディーンフジオカはこう話しています。
貧乏バッグパッカーだったので、
正直お金が目的だった。
とにかくサヴァイブしてゆくために色々やっていたら、
たまたまうまくいったのがモデルだった。
うーん、なんて謙虚な方なんでしょうか!
言葉の端々に英単語が出てくる独特の
話し方ですね、おDEEN語(^^ゞ
モデルという職業で人生を送るのではなく、
一つのチャンスを得られたので、
生きていくために選択したということです。
しかしモデルをしていくなかで気づいたことは、
演技に対するパッション(情熱)を発見したというのですね!
ディーンフジオカの出演作品や経歴を調査!
2005年、25歳で「八月の物語」で
いきなり映画の主演に抜擢されるのですね。
映画は女子高生と学生役のディーンと
淡い恋の物語を描いています。
俳優として、しかも主演という大抜擢は
すごいことですが、
それまで広東語を話したことがなかったので、
猛特訓したといいます。
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アメリカを出てあてもなくバックパッカーとして、
香港に立ち寄ったところがスター街道まっしぐらですからね!
偉いことになってきたわけですよね!
この映画が話題となったことで、
台湾の大物プロデューサーの目にとまるのですね。
2001年に「流星花園 花より男子」でヒットを飛ばした
敏腕プロデューサーのアンジー・チャイ(柴智屏)です。
台湾で人気ユニットF4の育ての親と言われている
台湾アイドルドラマの母に呼び止められた訳ですね。
こうして2006年26歳のときに、
台湾に拠点を移します。
2006年「スクール・ロワイアル~極道學園」
貧乏料理人とお嬢様との恋を描いた作品です。
ディーンは主人公の恋敵を演じており、
日本人の天才ピアニストとして熱演しています。
台湾では北京語を覚えなければならないのですが、
広東語よりも難しかったといいます。
しかし映画では自然な北京語を話しているというから、
集中して猛特訓したのでしょう。
このテレビドラマは個性的なギャルに思いを寄せる
イケメン御曹司の物語です。
幼少のときはぽっちゃり体型だったのを
ダイエットしてイケメンに大変身してしまうという
無茶ぶりな設定が人気となったドラマです。
ドラマがヒットして台湾だけでなく、
中国全土において放送されたのですね!
中国では視聴率が1%取れたらヒットするというのですが、
なんと8%を記録したといいますから
およそ1億人が視聴していることになるのですね・・・
恐るべし、おDEEN様の実力は本物だったということですね。
こうして台湾では知らない人がいないくらいの
人気俳優として大スターの道を歩んできたのです。
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ディーンフジオカのかっこ良すぎる半生!
人気絶頂となりファンクラブもできるのです。
台湾にきて2年で、北京語も流暢にはなせるようになりました。
ところが人気がうなぎのぼりになる一方で
顔が知られて街を歩くこともできなくなってしまうのですね。
大スターになった証でもあります。
悩みというのが、
俺、こういう人生生きたかったのかな・・・?一度全部の仕事を休ませてください。
台北にいたときに知り合った恋人が
住んでいるジャカルタに行くことになるのです。
2008年28歳のときですね。
自分の中で疑問が起こったわけなんですね。
パッションを見つけて
このまま進んでいいのかな?
自分の実力がなかったのかと問うわけです。
そんなときにジャカルタで人気のDJ Sumoと出会います。
そして音楽制作に取り組むようになるのです。
ディーンフジオカがシンガポールで中継!ホテルの場所やメンバーは?
作詞作曲を手掛けて
オリジナルアルバム「My Dimension」
を作ることになるのですね。
アメリカ留学時代から続けてきたボクシングも
動画の中に取り入れています。
こうして音楽製作をするとともに、
これまで自分のファンから復帰を願うファンレターが
届くようになるのです。
求めてくれる人がいるのに、
それを放棄したらダメだ。
とファンからの熱い要望の声をきいていくうちに、
俳優業を再開することになるのですね。
2010年映画「セデックバレ」では
日本統治時代の台湾を描いており出演しています。
当時スタッフに日本人がおり、
ディーンフジオカに目が止まり、
日本にこないかと誘いをかけるのですね。
しかしディーンフジオカは
中華圏からアメリカに視野をおいており、
当初日本は考えていなかったそうです。
しかし仕事は日本でも台湾に住みながらで仕事はいいからと
説得されて日本の仕事を受けることになったのですね。
今現在NHKのドラマに出演して
日本で人気沸騰中ですが、
なぜ日本にやってきたのかわかりました!
2011年31歳で映画「I am Ichihashi 逮捕されるまで」
で主演を演じています。
実話をもとにしている題材なので、
プロヂューザーと役柄について
詳しく意見交換をしているうちに監督に大抜擢されたのですね。
映画作りは初めての作人となりましたが、
主題歌の作詞作曲もしますね。
日本と平行して
台湾映画「ハーバー・クライシス」
「王子様をオトせ!」では、主人公アーロンの恋敵役でディーンという役名で演じていますよ。
2015年にTBSドラマ「探偵の探偵」で連ドラに登場していますね。
まとめると
ディーンフジオカの半生をたどると
非常に長い道のりを歩んできたのですね。
時には挫折することもあったのに、
前向きに捉えて自分の情熱を追い求めて突き進んでいきます。
驚異的な速さで芸能界にデビューして有名になってきました。
根底にあるのは、前向きな思いだと思いますね。
くよくよしていたら何も始まらまいわけですね。
ディーンフジオカの前向きに物事をとらえる気持ちが
今人気俳優となった理由であると思います。
これからも心がときめくような
作品作りをして欲しいですね!
今後の活躍が楽しみになりますね。
最後までお読みいただきまして、ありがとうございました。
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