村田和人の死因は何か?嫁や子供は?経歴やCMソングを調査!

シンガーソングライターの村田和人が亡くなったとニュースで知りました。

村田和人についてどんな人物だったのか、CMソングや経歴について、家族や死因についても調べてみたいと思います。

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村田和人の死因は何か?

村田和人はシンガーソングライターで
山下達郎のバックコーラスをしていたこともあります。
さわやかな歌声は80年代のポップミュージックを懐かしく思えますね!

では村田和人のプロフィールについて・・・
1954年1月2日生まれ62歳でした。
東京出身です。

 

死因についてですが、肝臓がんで
2月22日にお亡くなりになったそうです。

原発(もとの疾病)は大腸がんで、
転移をして肝臓がんを発症してしまったといいます。

病状について詳しい経緯は公表されていませんが、
数年前から入退院を繰り返していたといいます。

村田和人のブログをみると、
全国各地へコンサートやライブ活動で
忙しく回っています。

多忙を極める日々のなかで健康管理まで
注意できなかったのでしょうか・・・
まだまだ活躍できる年齢でしたので、
残念でたまりません。

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嫁や子供は?

村田和人のブログをみると
最新の日付は息子が代筆をしていました。
村田彼方(かなた)という名前です。

コンサートでは親子で出演をしていたこともあるようですね。
「Birth」という曲で息子の村田彼方はギターを担当していました。

また息子の村田彼方と新バンド
「モンスターペアレンツ」を組んでいました。
息子はドラムを担当していたので、親子共演をしていたのですね。

 

村田彼方は一人息子で、TORNADO-GRENADEというヘヴィメタル系のバンドでドラマーをしています。

村田和人

村田和人 モンスターペアレンツ

(画像引用:http://p.twipple.jp/PStOv)

また嫁についてですが
一般人なのでしょうか、情報は公開していないようです。
子供の年代からみるとおそらく50代と思われます。

 

経歴やCMソングを調査!

村田和人の経歴について

村田和人は、もとからミュージシャンでなかったのですね。

出身大学が獨協大学で、
学生時代からバンド活動をしていましたが、
デビューまでは至らなかったそうですね。

大学卒業後はヤマハの営業マンとして
働いていましたが、バンドを再結成して活動もしていたそうです。

 

そうしてライブをレコード会社のディレクターに
認められてデビューするようになったといいます。
そこにはなんと山下達郎の後押しもあったのですね!
1982年シングル「電話しても」でデビューします。

ファーストアルバムが「また明日」

シングルというとレコード盤は懐かしいですね!

うちの子供にレコードの話をしても
理解してくれないですね。

針をレコード盤に落とすターンテーブルで
たまにシングル用のキャップがちゃんとハマってなくて
針がレコードに乗っておらず、
ガリガリガリッ!と大音響を立ててしまうことがありましたっけ(笑)

 

竹内まりやのアルバムでコーラスとして参加をしているのですね!

 

パイオニアカロッチェリアのCMソング 「SOUNDS GOOD」




村田和人というと私はマクセルのCMの印象が強いですね。
1983年にヒットした曲です。

 

マクセル一本の音楽



最初に聴いたときはてっきり山下達郎だと思っていましたね。

声質も曲調もとても似ているなと思います^^

何回聞いていいですね~名曲です!
でももう二度と歌声を聴くことができないのが
残念でたまりませんね。
村田和人の追悼ライブも今後行う予定だといいます。

1980年代に流行したポップミュージックの世代にとっては、
とても残念ですね。
さわやかな歌声をもう一度聞きたかったです。

どうかご冥福をお祈りしたいと思います、安らかにお眠りください。

 

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