内藤やす子が歌手復帰をしてスタートするそうですね。
なんと10年ぶりに活動開始になるとかです。
そこでどんな女性なのか経歴や学歴について、
また、刺青(タトゥー)があるかという噂についてチェックしてみたいと思います。
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内藤やす子の刺青画像はある?
(画像引用:http://talent.yahoo.co.jp/pf/detail/pp16325″)
「弟よ」や、「想い出ぼろぼろ」などのヒットソングを
歌って一世風靡をした歌手の内藤やす子は、
脳内出血を起こし闘病生活を送っていたといいます。
内藤やす子の病状については詳細はこちら▼
どんな人物なのか詳しく調べてみようと思ったら、
刺青(タトゥー)というキーワードがでてきたので
とても気になりましたね。
そこで過去に刺青を入れているのか
調べてみようと思います。
するとこんな書き込みをみつけたんですね!
原宿の有名な服屋で働いていた店員が、
試着室から出てきた内藤やす子と思しき人物をみて、
全身刺青だったといいます。
その女性は声に特徴があり、
格好がヘビメタ風の女性だったといいます。
そこで刺青の画像はないのかと
調べたけれどありませんでした・・・
この情報はどうも確証がありまえんね。
しかしよく考えて見ればね、
試着室から出てきたら全身刺青だったとは
ありえないのではないでしょう、どんな服を着ていたの?!
おそらくガセネタではないかとも思われます。
でも目撃した女性は見た目がヘビメタ
と言うのは一理あるかもしれません。
内藤やす子は歌謡曲を歌っていましたが、
小学生の頃にジミー・ヘンドリックスを聴いて
ハードロックにはまったそうです。
ジミヘンドリックスは70年代に活躍した
ロックミュージシャンで天才ギタリストとしても有名でしたね。
ボブ・ディランのカバー曲
「All Along The Watchtower」
は代表曲ともいえます。
The Jimi Hendrix Experience – All Along The Watchtower
内藤やす子は中学時代にバンドを組んでいたといいます。
やはりバンドではボーカルだったのでしょうか。
内藤やす子の髪型はジミ・ヘンドリクスの影響を受けて
カーリーヘアにしているのでしょうね!
デビュー当時の内藤やす子
当時大ヒットした「弟よ」は、日本人離れした風貌とソウルフルな歌声に圧倒されたものですね!
これまでに映画出演をしたこともあるのですが、
1986年の「極道の妻たち」に出演しており、
挿入歌は「あんた」です。
映画に出演したことで「極妻」という
イメージがついて刺青があると言われてしまったのではないでしょうか。
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内藤やす子の出身高校や経歴をチェック!
内藤やす子の出身高校について調べてみました。
両親の仕事が浪曲師で地方巡業をしていたそうです。
子供が4歳のときに東京板橋に定住をして、
新聞販売業に転向したそうですね。
中学は豊島岡女子学園中学に進学しています。
私立高校なので中高一貫教育なので、
豊島岡女子学園高校へそのまま進学したのですね。
高校はJR、東京メトロ、西武線、東上線池袋駅から
徒歩7分に立地しています。
交通の便もよいので通いやすい学校ですよね。
偏差値を調べたところなんと偏差値は75!
小学校時代に家庭教師をつけて
もう勉強したというから優秀な子供だったのですね。
中学時代は子供時代から続けていた柔道部で腕を磨いたそうです。
柔道初段の実力で、若い頃はかなりやんちゃもやらかしたようですよ。
地元では有名だったといいます。
ということは高校時代は女番長だったのでしょうか?
父親に紹介されて歌手の二葉百合子に
師事して歌の勉強をしたといいます。
二葉百合子の弟子には、石川さゆり、
坂本冬美、藤あや子、湯原昌幸と名だたる歌手がいます。
二葉百合子の前座歌手をしていたのですね。
あの素晴らしい歌唱力は、
天性の才能だけでなく、
並ならぬ努力の賜物というところなんですね。
しかし弟子としての修行は4年でやめてしまい、
17歳の時にロックバンドのボーカルをしていたといいます。
やはりハードロックが好きだったのですね。
24歳のときにスカウトされて芸能界入りした後に
「弟よ」で売れてヒットソングに恵まれたけれど
ロックではなくて歌謡曲でした。
複雑な気持ちだったでしょうね。
でも芸能界で人気歌手となることは、
並大抵のことではないので凄いことだと思いますね。
翌年1976年の想い出ぼろぼろも続けてヒットして、
レコード大賞新人賞など受賞します。
当時スターだったピンクレディーを超えたので、
実力が評価されたのだと思います。
こうして芸能界で一躍スターダムに
踊り出るのですが、
栄光だけでなく影の部分もでてしまったのですね。
1977年に大麻所持で逮捕されてしまい、
芸能活動を休止することになるのです。
1984年に六本木ララバイがヒットして見頃に復活を果たすのですね!
やがて子供の頃から好きだったハードロックを持ち歌に取り入れたりしましたね。
憧れのジミ・ヘンドリクスに近づけたのでしょうか?
2000年にリリースした「恋通り」は作詞作曲をつんくが手がけています。
なかなかいい曲ですね!恋する女の切ない気持ちが伝わってきますね。
ぜひ、カラオケで歌ってみたくなりました。
長らく休養期間をとっており、
再始動となる内藤やす子はこれからどんな歌を歌っていくでしょうね!
(画像引用http://www.tv-asahi.co.jp/tetsuko/guest/0002/index.html)
歌を聴いていると、やさぐれて半端ない世界観を表現することができるので本当に素晴らしい歌手ですね!
復帰した歌声をぜひ聞いてみたいと思います。
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昔。東京高円寺の治郎吉で一度ライヴを聞かせて頂きました。もう20年位前かもしれません、全般的にジャズの曲が多く私は一番後ろに起つて見ていて。くれ一応曲が中休みになり。内藤さんがステージを降り後ろで見ている私の方へどんどんと歩いてきまして。私と目が合いちょつとたちどまつてくれ、私はあのー六本木ララバイを歌つてくれませんか?と聞くと。彼女はごめんね今日は。ジャズの曲ばかりなの、て答えて裏の楽屋に入つていきました。
あれから病気になられたそうで、徹子の部屋に出ている彼女はすつかりあのパワフルの彼女にみえました。どうか又治郎吉でも歌いに来て下さい近くなので必ず見に行きます、どうかお身体麻を大切に頑張ってくださいね。応援しています。
東京都中野s。hiroshi